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塩へのこだわり

主役は能登半島「揚浜式塩田」の塩

塩イメージkemuriブレンド塩の主役は、日本最古の製法を現在も守り続ける能登半島の「揚浜式塩田」で作られています。満潮時にも海水の来ない高台に塩田を作り 海水をまいて自然の力で蒸発させる方法です。

県無形民族文化剤「老舗 角花(かくはな)家」

戦前まで100軒以上あった塩田も、戦前から続いているのは、今では角花家ただ一つ。5代も続いている老舗です。古くから能登半島など日本海沿岸で盛んに行われていたが揚浜式ですが、明治時代以降、効率の良い瀬戸内海の入浜式塩田などに押され姿を消していきました。
1958年の塩業整備臨時措置法の施行で塩田は全廃となりましたが、文化財保護の見地から、角花さんの塩田は継続が認められ、92年に「能登の揚浜式製塩」として、県無形民俗文化財にもなりました。塩作りに誇りを持っているからこそ、その伝統を絶やしたくない。角花家の揚浜式塩田で作られた塩にはそんな角花家の「想い」がこもっているのです。

揚浜式塩田

sio_img02この揚浜式では、海から高台の塩田まで 海水を桶で運びます。片方36リットル入る桶を 二つ担いで早朝6時から海と塩田を7往復。重さは両方会せて約80kg!もちろん歩きで運びます。


sio_img03塩田に海水を運び込んでからも、休む暇はありません。

太陽の強いうちに海水を撒いて午後3時~4時ごろ干上がるようにしなければならないのです。

海水を撒くのももちろん手作業。

風の向きや強さ、日差しの強弱なんかをその日その日で読んで微妙に撒き方を変えなければなりません。

家族総出の手作業

揚浜式塩田の歴史の始まりは1224年とも1596年とも言われていますが、長年培った職人の読みと技が必要な日本最古の 製塩方法なのです。海水が干上がっても終わりではありません。今度は家族総出で塩の付着した 砂をかき集め、もう一度 海水をかけて濾過します。

 

そうするとかけた海水が砂についた塩を溶かし、濃い塩水になります。

 

これを塩釜に入れて 煮詰めれば、塩が浮き出てくる仕組みです。でも、釜に入れて火をつけたからといって、後は放っておけば塩ができる、というわけではないのです。

強火で焚けば焦げてしまうし、弱火でずっと煮詰めると苦味が残ってしまいます。

 

1時間おきに火の加減を見て薪を足す。

塩ができるまで18時間ほどかかる徹夜作業なのです。

コトノハ

いろんなアーティスがいろんなアレンジで唄う名曲の数々をご自宅でも。